ついていない一日のこと

映画の日なので、会社帰り、荻上直子の新作「彼らが本気で編むときは、」を観に行く。

 

この日は大変ついていない一日だった。

 

まず朝一番に横浜でお客さんとの待ち合わせをすっかりと忘れていて、電話で平謝りし、急いで横浜へ移動。

お客さんに申し訳ないのと、本当にすっかりと忘れていた自分に対してのショックとで、ひどく落ち込む。

仕事で職場の人間とぶつかる。言いたいことは言ったが、それが「言うべきことだったのかどうか」でくよくよと悩む。

職場の方々には気をつかわれるも、卑屈な気持ちになってしまってどんどん嫌な気持ちになり、暗く悲しい気持ちでいっぱいだった。

 

さらに追い打ちをかける出来事が。

この日は寒かったのでズボンの腰の部分に使い捨てカイロを挟んでいて、それが電車の座席を立ったタイミングでずれてお尻の方に移動してしまった。

このままではズボンの中を通って、裾から出てしまう・・・そんな恐怖におののきながら、お尻を押さえながら改札へ向かいました。

しかし改札を出るにはスイカをタッチする必要があり、一旦手を離さないといけない。

きっと一瞬なら大丈夫・・・そう思って手を放した瞬間、カイロがするっとズボンを通り抜け、裾から抜け出て床に落ちました。

 

もし自分がアキラ100%くらいの瞬発力があれば、尻から移動するカイロをさっと止めることが出来たのに・・・。

見知らぬ男のズボンの裾からカイロが出て行く瞬間を、後ろの人は見たのだろうか?・・・そう思うと怖くて振り向くことが出来ませんでした。

 

そして改札を出ると雨。天気予報を確認していなかった為、傘を持っておらず。

 

そんなついてない一日に観たこの映画。

 

「彼らが本気で編むときは、」には、トランスジェンダーに対する世間の偏見と差別、育児放棄などの社会問題がまっすぐに描かれていました。

日常ではあまり遭遇することが無いような、ちょっと変わった人々の交流を、善と悪を明確にしながら描き(明確すぎて悪を演じる役者がちょっと気の毒になるくらい)、いろいろな心の闇を映す。

それらは寓話的ではあるのだけれど、そういう設定を取り払ってしまうと、「ただの家族の物語」を描いていることが分かる。

 

この映画は、そこがとてもいい。

 

前作の「トイレット」でもやっぱりそこは同じで、場所は外国だし登場人物はみんな一癖あって一緒に住みたくない感じで、自分とは全く接点の無い環境の話かと思って観ていたら、普遍的な人と人との繋がり、疑似家族のようなぬくもりに涙してしまった。

 

血縁なんて疎ましいもの以外なにものでもないと思っている自分にとっては、こういういびつな関係にこそ真実味を感じてしまう。「彼らが本気で編むときは、」も、そんなぬくもりのある映画でした。

 

ついてない日だったけど、この映画を観れたことは、とてもついていたのかもしれない。

そう思い、帰る途中彼らのように瓶入りのビールを買い、ビールを発明した人に感謝しながら飲みました。